11月1日の校外学習は天気予報通り、雨での幕開けでした。
当日の天候を予想し、素早く配車のアレンジをしていただいた岩永さん、並びに車を出していただいた方々に感謝です。
予定時刻には
安土城跡駐車場に到着、城ナビ館前に揃いました。
大手道を上がり、
伝羽柴秀吉邸の
厩跡で中井先生の話をお聞きしました。
秀吉は天正4年当時は
柴田勝家、丹羽長秀より地位が低く、大手道に御殿を建てるほどにはなってなく、信長の屋敷跡と見るのが正しいと思われるとのことでした。
伝前田利家邸とされているところに建っている
総見寺は信長が安土城築城の際に建立したお寺で、現在の位置は江戸末期に焼失した時に建て直したもの。 家康の命で住職は
信長の血筋であることが求められていたとか。
雨の中大手道を登りました。
黒金門跡の周りの石垣には権威を象徴する大きな石が使われていました。
また石垣は算木積みが採用されていることが分かりました。
さらに登ると、織田信勝ら奈良織田の藩主の墓が4基、その上の段には信長の墓がありました。
これは秀吉が安土城の城としての機能をなくすため、信長の墓を作ったとのこと。
さらに
本丸跡は
正親町天皇をお迎えする御殿だとする説もあるとのこと。
柴田勝家が送った越前の
笏谷石(しゃくだにいし)が敷石として使われていました。
いよいよ
天主跡です。 先生のお話をシッカリ聞いています。
この後、
大中湖を見、さらに遠方を見ようとしましたが、雨の為十分見えませんでした。
安土城の創建当時の建物である総見寺
三重塔(湖南市の長寿寺のものを移設した)です。
この下にある
仁王門も創建時の建物です。
総見寺本堂跡からの眺望も良いのですが、雨の為十分見えませんでした。
帰りは、仁王門から降りるのは危険であるとの判断で、大手道を戻ることになりました。
雨の為、階段は滑りやすく、階段が崩れるのを防ぐために塗られたモルタルが滑りやすく危険を感じました。
無事全員が下山し、昼食を各自の車の中で摂り、午後の部に。 この時間帯から雨が上がり、歩きやすくなりました。
虎口の石垣まえで集合写真です。
この後、先生が本当の大手とみられている
百百口で先生の話を聞きました。
百百口の階段で、そのまま総見寺の仁王門、三重塔に到着するとか。
百百橋を渡って城下町跡へ。
検子の辻を通って、信長が好きだった相撲絵がある
新宮神社へ。
絵には竹の両端を持ち、力比べをしている二人の力士が書かれていました。 大相撲の東西の始まりとされる、同じくらい強かった東から出てきた力士には
東、西から出てきた力士には
西の姓を信長が与えたとか。 すぐ近くに東さんの末裔が住んでおられました。 東さんの家です。
地名からセミナリオ跡とされているところで、先生のお話を聞いて散会しました。
今回は雨に降られましたが、それでも授業は楽しく受けることができました。
奥村さん、高木さん、花澤さん、村上さんの写真を使わせていただきました。 ありがとうございます。
文責 山本 眞