
2021年12月21日
クラス活動・大津駅⇒浜大津駅 大津の史跡を散策する
開催日時:2021年12月21日
集合場所:JR大津駅北出口付近
コース:JR大津駅⇒魚中⇒藤村商店⇒露国皇太子遭難の地⇒札ノ辻⇒大津宿本陣跡⇒犬塚の欅⇒川口公園(大津城中堀跡、川口関跡)⇒梅田雲浜寓居跡⇒大津絵の道⇒大津城本丸跡⇒昼食後解散 3㎞強
朝はかなり冷え込みましたが、陽が昇るにつれ冷たい空気の中でも暖かさを感じ、いい散策となりました。
集合時間は午前10時でしたが、10時前には殆どの方が集まり、残りのお二人を待っています。

全員が揃って集合写真。

山本一男さんのガイドで散策が始まったと持ったら、大津駅に逆戻りして大津駅の歴史の解説。
初代大津駅は今の京阪びわこ浜大津駅で、その後、膳所(馬場)駅に移って、現在の位置へ。

更に駅前に戻って、江戸時代の後期から京都との荷物搬送に大に役立った車石の説明。

大津駅を出発し北上、旧東海道を左折、すぐ江戸時代は呉服商で今は料亭の魚忠前へ。 その筋向いの藤村商店は饅頭で有名。 帰りに売り切れに成る程皆さんが買われました。

直進(東進)し、重要人物がいた場所を指示され、さらに日本の歴史上で重要な事件が起きた場所を指示され、「露国皇太子遭難の地付近の碑」へ。 山本さんの説明をシッカリ聞きました。

更に京町通を東進、右折して大津曳山展示館へ。 ここでは館員の方に丁寧な説明を受け、トイレ休憩にもなりました。

さらに大津城外堀の石垣もすぐそばで確認できました。
次いで、京町通に戻り東進、江戸時代には立て札があり、人足、馬等の手配もできた札ノ辻へ。
札ノ辻を南下、左手に大津宿本陣跡。 ここで説明を聞きました。 明治元年に明治天皇は東京行幸時と京都還幸時に宿泊され、翌年東京再幸時に昼食を摂られたとか。

続いて蓮如上人を命を懸けて救った犬にちなんで植えられた欅が大きくなった犬塚の欅へ。 説明を聞いている間に流れてきたいい香りに誘われて、解散後何人かの人はパンを買いに行きました。

今度は北上です。 いい姿勢で歩いています。

元大津城内堀で、その後川口関になり舟で農作物等を受け取り、肥料を運ぶに使われ、現在は川口公園となっています。

ここから、水位が低下した琵琶湖疏水を渡り、元小浜藩士で尊王攘夷士の中心人物で、安政の大獄で獄死した梅田雲浜湖南塾址の碑へ。 実際には寓居跡で湖南塾は大津市観音寺町にあったとか。

旧江若鉄道の線路跡である大津絵の道を通り、大津城本丸跡へ。 ここで大津城の縄張り等を再確認して、昼食場所へ。
解散後、途中の商店で力餅、お酒、酒の粕、饅頭、パン等を買って帰路につきました。
大村さん、高木さん、花澤が撮られた写真も使わせていただきました。
参加された皆さん、良い時を過ごされたことでしょう。 次回はJR膳所駅からJR大津駅までの歴史散策です。
集合場所:JR大津駅北出口付近
コース:JR大津駅⇒魚中⇒藤村商店⇒露国皇太子遭難の地⇒札ノ辻⇒大津宿本陣跡⇒犬塚の欅⇒川口公園(大津城中堀跡、川口関跡)⇒梅田雲浜寓居跡⇒大津絵の道⇒大津城本丸跡⇒昼食後解散 3㎞強
朝はかなり冷え込みましたが、陽が昇るにつれ冷たい空気の中でも暖かさを感じ、いい散策となりました。
集合時間は午前10時でしたが、10時前には殆どの方が集まり、残りのお二人を待っています。
全員が揃って集合写真。
山本一男さんのガイドで散策が始まったと持ったら、大津駅に逆戻りして大津駅の歴史の解説。
初代大津駅は今の京阪びわこ浜大津駅で、その後、膳所(馬場)駅に移って、現在の位置へ。
更に駅前に戻って、江戸時代の後期から京都との荷物搬送に大に役立った車石の説明。
大津駅を出発し北上、旧東海道を左折、すぐ江戸時代は呉服商で今は料亭の魚忠前へ。 その筋向いの藤村商店は饅頭で有名。 帰りに売り切れに成る程皆さんが買われました。
直進(東進)し、重要人物がいた場所を指示され、さらに日本の歴史上で重要な事件が起きた場所を指示され、「露国皇太子遭難の地付近の碑」へ。 山本さんの説明をシッカリ聞きました。
更に京町通を東進、右折して大津曳山展示館へ。 ここでは館員の方に丁寧な説明を受け、トイレ休憩にもなりました。
さらに大津城外堀の石垣もすぐそばで確認できました。
次いで、京町通に戻り東進、江戸時代には立て札があり、人足、馬等の手配もできた札ノ辻へ。
札ノ辻を南下、左手に大津宿本陣跡。 ここで説明を聞きました。 明治元年に明治天皇は東京行幸時と京都還幸時に宿泊され、翌年東京再幸時に昼食を摂られたとか。
続いて蓮如上人を命を懸けて救った犬にちなんで植えられた欅が大きくなった犬塚の欅へ。 説明を聞いている間に流れてきたいい香りに誘われて、解散後何人かの人はパンを買いに行きました。
今度は北上です。 いい姿勢で歩いています。
元大津城内堀で、その後川口関になり舟で農作物等を受け取り、肥料を運ぶに使われ、現在は川口公園となっています。
ここから、水位が低下した琵琶湖疏水を渡り、元小浜藩士で尊王攘夷士の中心人物で、安政の大獄で獄死した梅田雲浜湖南塾址の碑へ。 実際には寓居跡で湖南塾は大津市観音寺町にあったとか。

旧江若鉄道の線路跡である大津絵の道を通り、大津城本丸跡へ。 ここで大津城の縄張り等を再確認して、昼食場所へ。
解散後、途中の商店で力餅、お酒、酒の粕、饅頭、パン等を買って帰路につきました。
大村さん、高木さん、花澤が撮られた写真も使わせていただきました。
参加された皆さん、良い時を過ごされたことでしょう。 次回はJR膳所駅からJR大津駅までの歴史散策です。
文責 山本 眞
2021年12月16日
フォトウォーク・安土城 2021-12-16
雨を心配した天候も、参加者の日頃の行いを反映し、ウォーキング日和になりました。
集合日時:2021年12月16日(木) 9:00 小雨決行(天候次第で一部コース変更あり)
集合場所:JR琵琶湖線 JR安土駅北口、観光案内所、織田信長像 前
コース概略(⇒徒歩 約 9Km)
JR安土駅北口、観光案内所、織田信長像前 ⇒ 活津彦根神社 ⇒ 百百橋⇒ 安土城跡⇒ 安土城考古博物館、信長の館、文芸の郷レストラン(昼食)⇒ たんぼ道 ⇒ セミナリヨ跡(解散)⇒ JR安土駅北口
集合場所に予定通り集まり、出発前の注意事項等を信長像を背負って話されるのを聞きました。

出発前の準備体操。

活津彦根神社に向かいました。

天照大御神の第4子の活津日古根神が祭神の神社。

ここで最初の集合写真です。 佐々木さんから頂きました。

活津彦根神社から百百橋へ

安土城跡に向かいます。

お城の階段は段差が大きく、登るのに苦労しました。

天守跡での集合写真

帰りは総見寺の三重塔経由で

重要文化財の二王門

無事下山して登りの階段を見ると

安土城考古博物館に向かいます。

左前方に見える安土城考古博物館と信長の館

昼食後信長の館前で集合写真

安土城考古博物館での展示。 信長が使ったという三間半の槍は武田軍、後北条軍のに比べて長く、威力があったと思われる。

考古博物館を出て、セミナリオ跡へ

セミナリオ跡で集合写真。

ここで、解散。
安土駅ではほんの少し15時20分の下り電車に間に合わず、約30分待たなければならなくなりました。 この時間を利用して安土城資料館へ。 入館料200円で、ビデオ、安土城の中まで見える模型、洛中洛外図、安土城、安土城下、長崎の陶板画にした屏風等を見れ、十二分に満足しました。 写真は二つに割れて中が見えるようになる城の模型

30分を有意義に使えて、安土駅を出発しました。
今回は入学して初めてのフォトウォークに参加。 歩きながらクラス仲間といろんな話ができ親睦が図れいい活動になったと思われました。
以上
集合日時:2021年12月16日(木) 9:00 小雨決行(天候次第で一部コース変更あり)
集合場所:JR琵琶湖線 JR安土駅北口、観光案内所、織田信長像 前
コース概略(⇒徒歩 約 9Km)
JR安土駅北口、観光案内所、織田信長像前 ⇒ 活津彦根神社 ⇒ 百百橋⇒ 安土城跡⇒ 安土城考古博物館、信長の館、文芸の郷レストラン(昼食)⇒ たんぼ道 ⇒ セミナリヨ跡(解散)⇒ JR安土駅北口
集合場所に予定通り集まり、出発前の注意事項等を信長像を背負って話されるのを聞きました。
出発前の準備体操。
活津彦根神社に向かいました。
天照大御神の第4子の活津日古根神が祭神の神社。

ここで最初の集合写真です。 佐々木さんから頂きました。

活津彦根神社から百百橋へ
安土城跡に向かいます。
お城の階段は段差が大きく、登るのに苦労しました。
天守跡での集合写真
帰りは総見寺の三重塔経由で
重要文化財の二王門
無事下山して登りの階段を見ると
安土城考古博物館に向かいます。
左前方に見える安土城考古博物館と信長の館
昼食後信長の館前で集合写真
安土城考古博物館での展示。 信長が使ったという三間半の槍は武田軍、後北条軍のに比べて長く、威力があったと思われる。
考古博物館を出て、セミナリオ跡へ
セミナリオ跡で集合写真。
ここで、解散。
安土駅ではほんの少し15時20分の下り電車に間に合わず、約30分待たなければならなくなりました。 この時間を利用して安土城資料館へ。 入館料200円で、ビデオ、安土城の中まで見える模型、洛中洛外図、安土城、安土城下、長崎の陶板画にした屏風等を見れ、十二分に満足しました。 写真は二つに割れて中が見えるようになる城の模型
30分を有意義に使えて、安土駅を出発しました。
今回は入学して初めてのフォトウォークに参加。 歩きながらクラス仲間といろんな話ができ親睦が図れいい活動になったと思われました。
以上
文責 山本 眞