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2022年10月29日

2022年10月29日城郭探訪・清水山城跡

 9月21日に下見をした清水山城跡での城郭探訪に行ってきました。 参加者は全部で約60名、A,B,Cの三班に分かれての探訪です。 今回は地文からリーダーとして3名・サブリーダーとして2名が参加しました。
詳細は城郭探訪のブログを参照していただければと思っていますので、サイドストリーのアップです。
 
 野洲駅8時前に到着して下見では2個しか残っていなかった7・11で無事おにぎりをゲット、予定通り岡島さんの車に乗せていただいて、一路集合場所の『新旭森林スポーツ公園』に向かいました。
 助手席にいたナビゲーターのミスで、地道に降りる場所を間違え遠回になり、予定より少し遅めの到着になってしまいました。
 今回の役目は車で来られる方の駐車場への誘導。 ドイツ車がベンツ2台を含めて5台もあったのには驚きました。 軽で来られた方もいてホッと?しました。
 新旭駅からの参加者も到着し、


 ほぼ予定通りの集合で、会長岡島さんの挨拶です。




 本日のガイドをしていただく城楽クラブ代表桒原さんからの挨拶並びにガイドさんの紹介です。 ガイドさんの中には城郭探訪の創立者の先輩がいらっしゃるとか。
 一部紅葉が始まっている清水山城跡へ出発です。 今回はC班のサブリーダーでしたので、殿を務めることになっていました。


 下見の時は下草がありましたが、今回は刈り取られてあって歩きやすくなっていました。


 前回と違って、林道を一部利用するなど、参加者の体力に配慮したコースを辿りました。


 東屋敷跡、アリノコシを通り、西屋敷へ向かいました。 途中井戸跡がありその確認もしました。


 大手道は真っすぐで、近代の城、新宮城跡のように枡形はありませんでした。
 大手道の突き当りが清水寺本堂があったところと中井先生が仰っていましたので、確認しました。 多分この辺りでしょう。


 主郭畝上竪堀は下見の時より草刈りがされていて分かりやすくなっていました。


 桒原さんは分かりやすく畝状竪堀を説明をされました。 またこの広場では城楽クラブの方々がコーヒー、ココア等の準備をされていました。
 主郭からの眺望は今回も良く、大いに楽しめました。




 さらに一男さんが信長の50mを超える大船についてイラストで、その他の歴史的背景についても説明されました。


 C班の集合写真ですが、他の班の方も入っておられます。


 この後、堀切の降り、登りの体験です。 下でガイドさんがしっかり見守っていらっしゃいました。


 この堀切は大きくありませんが、この後の二郭、三郭間の堀切は10mを越えていますので大変でした。
 堀切体験の後、ココアを頂いて、主郭に戻り、清水山城の説明を受け昼食を頂きました。
 主郭から降りたとこの広場で、ここで城楽クラブの方々が準備されたココアを頂きました。


 清水山城の特徴の一つてある畝状竪堀前で参加者全員がそろって集合写真です。


 この後帰途につきました。今回は膝の悪い方がいらっしゃり、殿は全体からかなり遅れましたが、無事城郭探訪を完了できました。


 岡島さん、城楽クラブの方の写真を使わせていただきました。 ありがとうございます。

文責 山本 眞


  

Posted by 43期地文 at 22:21Comments(0)城郭探訪

2022年10月28日

2022年10月26‐27日クラス活動・修学旅行

 クラス活動で一泊二日の修学旅行に行ってきましたので報告します。
 10月26日8時45分には予定通り草津駅西口に参加者全員が集合し、バスで出発しました。
 田上インターから高速に入り、最初の休憩場所は吹田サービスエリアでした。


 バスの表示が気になりましたが、レイカディア大学であることがわかるので、まあ良しとしました。 次いで京橋パーキングエリアで車内で頂く弁当を積み込むついでに短い休憩を取り、一路大塚美術館を目指しました。
 車内では交流部会谷口さんが血液型に関係する興味深い話を含めて、退屈さを吹っ飛ばしてくれました。


 鳴門大橋では、ラッキーなことにうず潮を見ることができました。


 大塚美術館に無事到着し、大村さんの説明で鑑賞開始しました。




 


 大村さんの説明は裏話を含めて興味深いものがありました。


良い天気にも恵まれた大塚美術館の1階からの景色です。


 時間はあっという間に過ぎ、お土産を買う時間になり、予定通りバスでスマイルホテルに向かいました。
 チェックイン後近くの中華料理桃李で夕食をいただきました。
 夕食部屋に戻りさらに懇親を深めました。

 10月27日はホテルで朝食をいただき、8時30分に予定通り出発し、美馬市のうだつの町並み観光へ向かいました。 朝陽に照らされた瀬戸内海です。


 ここでは観光ガイドさんの説明を聞きながら、町並みを歩きました。


 うだつは最初防火のためつくられ、後に藍商人ら富裕層が立派なうだつ、鬼瓦を備えた家を作り始めたとか




 大谷川を渡ったところにある懐かしい雰囲気の劇場オデオン座


 現在も劇場として活躍してるとのこと。 舞台に上ってみたり、腰かけてみたり。


 うだつの町並みには藍工房があり、見学できました。


 この後、土柱ランド新温泉で昼食を摂り、奇勝土柱観察です。


 集合写真です。


 ここから、道の駅いたので休憩を兼ねてのお土産時間。 なると金時淡路の玉ねぎ等を大量に仕入れた人も。
 地域文化学科らしく締めは淡路文化史料館で、県外の歴史の勉強。 滋賀県の歴史、文化の奥行きを再認識しました。




 淡路文化資料館前での集合写真です。
 


 この後、淡路サービスエリアオニオンスープ等の最後のお土産をゲットして帰路につきました。 
 旅行の終着は出発地点と同じ草津駅西口で、ほぼ予定通り全員無事に到着しました。

 今回の修学旅行を中心になって立案、計画、実施された佐々木さんに深く感謝します。 また、大村さん、谷口さんはじめ旅行を楽しく過ごせるようにサポートに尽力された方に感謝です。
 また、卒業旅行をやってほしいとの声も聞こえているとかで、来年も楽しみにしています。

 大村さん、村上さんの写真を使わせていただきました。 ありがとうございます。

文責 山本 眞

  

Posted by 43期地文 at 18:15Comments(0)親睦活動

2022年10月28日

2022年10月16日るさと観音まつりへ

雨の予想をレディーのパワーで吹き飛ばし、当日は小春日和のいい天気になりました。
高月駅に集合してチケット(パスポート)を購入しました。

今日の一番の目的、国宝十一面観音様のある向源寺に向かいました。残念ながら写真に撮ることはできませんでしたが、間近に見る事が出来みんな感動しました。


それから3カ所の観音様を見て回りました。今も地域の方々が大切に保存され深く信仰されていることがわかりました。




お昼は琵琶湖が見える所に移動して、「いとえのそば」という古民家を改造した贅沢な空間で、10割蕎麦をいただきました。とても美味しかった。是非行ってみてください。但し要予約です。




午後は、レディースのおしゃべりタイム。時間のたつのも忘れて……
参加者の感想です。 

国宝の観音様の柔和な表情と姿、ホントに人々の苦しみや悲しみを包み込むようでした。それと、高月町の観音信仰が脈々と受け継がれて行っている事、歴史の深さを感じ、本当に感動しました。
もと代 
最初に訪れたからという事は無く、渡岸寺観音には感動しました。そのお顔やお姿の美しさはもちろん、人々を救済する慈悲の心が溢れた尊い菩薩さまと感じました。また、浅井・織田の戦火を逃れるために、菩薩様を住民たちが土中に埋め難を逃れたと言われている事にも感じ入りました。
琴子
小谷城の校外学学習、その三日後、高月の観音様を訪れ、信長の浅井勢力焼き討ちを実感しました。時の権力者によって仏教文化が繫栄し、また、破壊したのも権力者。その権力者に振り回されても、村人たちは、純粋に観音様を深く信仰し、お守りすることで、村の人々の絆を作ってきたんだなぁと長い歴史を巡られた気がしました。また、行きたいです。

故郷にある十一面観音様に是非お参りして欲しくて今回の計画を立てました。秋晴れになり、秋風の心地よさと、心打たれた観音様への信仰心と、美味しい蕎麦を堪能して今回の地文レデイのお出かけも三重マルでした。

文責 花澤

  

Posted by 43期地文 at 14:44Comments(0)地文レディ

2022年10月25日

2022年10月25日校外学習・甲賀の城

 300余ある甲賀の城のうち国史跡に指定されているなかの4つの城跡を訪れ、中井先生の説明を受けました。

 定刻には全員が集まり、本日の説明を中井先生から。


 最初は村雨城跡に車に分乗して向かいました。
 土塁の急な坂を登りきると平らなところに出て、先生の説明を聞きました。


 地元の方が下草を刈っておられるので、こちらの方が分かりやすいと思います。


 急な坂道を降りて、登って隣にある寺前城跡へ向かいました。


 甲賀の城は小ぶりで正方形に近い形になっているが、これは当時の甲賀郡が全体が惣村であり、各家が皆平等であったためとの説明を受けました。
 


 寺前城には土塁が三面しかないが、これは一面は以前に壊されていた為とのこと。
 ここから車で移動し新宮支城跡に向かいました。
 急な坂道(場所によってはロープを伝って上がるところもありました)登りました。


 最初の廓に着き正面を見ると更に高い土塁がありました。


 さらに登ると広い廓に、ここにも見上げるほど大きな土塁がありました。


 土塁の上から見るとその高さが良くわかりました。


 この土塁の高さは8m~9mあり、日本最大級とのことでした。 土塁の裏には堀切があり、外部からの侵入を防ぐ形になっていました。
 戻ってすぐ隣の標識のない道を分け入ると、土塁はそれほど高くはありませんでしたが新宮城跡の廓があり、ここで先生の説明を受けました。


 帰りは、虎口を通りましたが、ここにも仕掛けがありました。 後世の城に使われた枡形です。 よく見ると道が直角に曲げられているのが分かります。


 ここで午前中の城郭訪問は完了ですが、4か所も回れたのは素晴らしいことだと思いました。
 お昼はつるやさんにお世話になり、美味しい時を過ごせました。平井さん、ありがとうございました。



 午後は水口城資料館でした。
 先生の説明を聞いて資料館に入りましたが、資料館の場所は水口城の出丸であり、出丸には櫓はなかったのでおかしいとのご意見でした。


 資料館には水口城の模型がありました。


 資料館を後にして、水口城跡の堀を一周、櫓の石垣が残っていました。


 先生の締めのお話をお聞ききして、解散しました。


 高木さんの写真を使わせていただきました。 ありがとうございました。

文責 山本 眞








 







  

Posted by 43期地文 at 21:21Comments(0)選択科目

2022年10月21日

2022年10月21日クラス活動・東近江

 8月2日に行われた東近江埋蔵センターでの授業の後、行う予定だった安楽寺・独立山塊遠望が当日の豪雨の為中止になりました。 そのバックアップとして本日のクラス活動で行うことになっていました。

 本日は良い天候にも恵まれ、東近江でのクラス活動に最適の日になりました。
 ギリギリになった人もいましたが、参加者22名全員が定刻には東近江埋蔵センター駐車場に集まり、出発前の確認です。


 確認後6台+先生の車に分乗して安楽寺を目指し、安楽寺のすぐ近くの路上に駐車させていただきました。


 安楽寺にお邪魔する前に先生から、説明と注意点です。


 200段を超える石段を上りました。


 織田信長に焼かれ、(江戸時代にも火災にあった)ため十分復興されていないと元プロボクサーの御住職が仰っていました。


 今年85歳で、お話も興味深く、身も軽い御住職との集合写真です。


 この後東近江の景色の素晴らしさを堪能することになりました。
 まず水草等により水面は理想的ではありませんが、観音寺山、安土山等を遠望しました。


 伊庭内湖と湖東の山々です。


 1957年から始まった大中湖干拓の成果の農地の遠望で、琵琶湖水面より2m以上低いことが分かりました。


 素晴らしい景色を見ながら進むと伊崎の棹飛びで知られている太い角材も沖島の対岸に見えました。


 ここで琵琶湖を背景に集合写真です。


 また、伊吹山を背景にした琵琶湖の景色も楽しむことができました。


 この後、東近江埋蔵センターに戻り、お弁当頂きました。 先生からはお茶の差し入れが全員にありました。
 昼食の後、約1時間先生にお時間を頂き、授業の内容も含めた懇談をしました。
先生の熱意、地元愛、真摯に授業に取り組んでいただき、良い授業を受けさせていただいたと、改めて感謝です。


文責 山本 眞
  

Posted by 43期地文 at 18:53Comments(0)親睦活動

2022年10月14日

2022年10月14日基礎講座・課題学習をみんなで進めるために

日時:2022年9月16日(金) 10:00-15:00
場所:大教室➡介護研修室
予定:午前:課題学習をみんなで進めるために
   :午後:課題学習についてクラス内話し合い

「課題学習をみんなで進めるために」 
森川先生

 最初は先生の簡単な経歴の紹介から始まりました。
 つぎに課題学習の意味について話され、
 ・グループでの進め方
 ・話し合いを潤滑に進めるための複数の手法について説明されました。


 午前中の後半からはご自身の社会活動の紹介をされました。
  淡海の杜、大津百町館、演劇、平野地区の活性化、落語等々

午後:事務局の説明の後クラス内で課題学習のグループ分けを行いました。
 3つのグループがすっと決まり、人数が多い歴史関係のグループは二グループになるよう話し合いを続けることになりました。

文責 山本 眞、

  

Posted by 43期地文 at 15:40Comments(0)基礎講座

2022年10月13日

2022年10月13日校外学習・小谷城跡

学習日時:2022年10月13日(木) 10:00-14:00
集合場所:戦国ガイ ドステーション

 今回は集合場所が3か所になりました。 JR河毛駅から歩いて番所跡へ行くグループ、河毛駅に集合して車にピックアップしてもらって、戦国ガイドステーションへ行くクループ、戦国ガイドステーションへ直接集まるグループでした。
 河毛駅に予定時刻より早く集まり、車にピックアップいただいて戦国ガイドステーションに向かいました。 良い天気に恵まれ、いい学習ができそうなスタートでした。


 戦国ガイドステーションに先生がいらっしゃって予定通り、車の台数を減らして番屋の駐車場に向かいました。


 駐車場は広くはありませんでしたが、何とか全部の車が駐車できました。


 いよいよ出発です。


 番所跡で、徒歩グループが待っていました。 照り返しが強く、結構消耗した人もいたようでした。ここで、先生から小谷城全体の説明を先生から受けました。 山城は基本敵の攻撃から自分たちを守る(敵がたやすく侵入できないような工夫がある)為にあるとのことでした。


 これからは舗装がなく少し歩きづらい道になっていました。


 次にお茶屋跡がありましたが、お茶屋であるわけがなく、守るための施設跡の事でした。 お茶屋という名付けは江戸時代になって、行われているので、実際はどう呼ばれていたがわからないとのことでした。
 視界が広がり、遠くは竹生島が見え、山本山、信長が布陣した虎御前山が目の前でした。


 桜の馬場馬洗い池等がありましたが、馬が登れないのが山城とのことで、馬がいたわけがないとのことでした。 実際、桜馬場には建物の礎石が見つかっていて、建物が立っていたと推定されました。
馬洗い池は城に住んでいた人たちの飲料水だろうとの事でした。


 さらに首据石がありましたが、これもそんなわけはないとのことでした。 チョットお茶目に先生がポーズ。


 次いで、負けを悟った長政が自刃したとされる赤尾屋敷跡へ


 この辺りからの眺望も非常に良いものがありました。


 さらに、黒金門(門に鉄が貼ってある)跡に進みました。 大きな石でできた石垣に壊された跡がありました。


 黒金門を過ぎると大広間跡です。


 大広間跡からは多くの遺物が出てきており、生活していたことが分かるとのことでした。 また、礎石から燃えて落城したわけではないことが分かるとのことでした。
 大広間跡で昼食を摂り、


 集合写真を撮りました。 後ろの石垣は本丸(鐘丸)のものです。 先生は本当の本丸は、石垣の大きさ、場所の高さから考えて山王丸だったとの説を取られています。


 さらに進んで、本丸の後ろにある大堀切の大きさ等も確認しました。


 守護だった京極家が収容されていた京極丸へ進みます。 小谷城が落城したのは京極丸を秀吉に取られてしまい、山王丸小丸が孤立してしまったためとの事でした。


 小丸からわき道に入ると当時の石垣が結構そのまま残っていました。


 秀吉により破城されたたため、石垣が崩れているとのことです。
 さらに進んで、最終目的地山王丸で先生のお話です。


 先生のお話には力があり、本当に城郭への熱意が直に伝わってきて、いい授業を受けらいると思いました。
 この後、先生を先頭に無事全員が怪我無く下山し、戦国ガイドステーションで解散しました。

 谷口さん、琴子さん花澤さんの写真を使わせていただきました。ありがとうございます。

文責 山本 眞
  

Posted by 43期地文 at 22:17Comments(0)選択科目

2022年10月11日

2022年10月11日多賀町のそばの花観賞と多賀そばを味わい河内の風穴へ

 多賀町のそばの花観賞と多賀そばを味わい河内の風穴へに23名の参加がありました。 前回同様、今回もそばの花を観賞するのが大きな目的でした。
 集合場所の多賀大社前駅に集合、未到着のメンバーを待っている様子です。


 お一人が所用の為、直接風緑に行かれることが分かり集合写真。


 そばの花を鑑賞、記録に残す参加者です。


 そばの花と一緒にに集合写真です。


 もう一つの目的の多賀そばを味わうために風緑に。 休業日なのに店を開けていただきました。


 美味しくお蕎麦を頂きました。突き出しとデザートはお店のサービス?




 オッそばを美味しくいただいたお店の前で集合写真です。
 この後、お店の好意で駐車場に車を停めさせていただいて河内の風穴へ。 鍾乳洞と同じ理屈でできているのですが、水が流れていないので風穴だとか。 河内の風穴は三重県まで続いているとの言い伝えが滋賀県、三重県側にもあると聞きました。『犬を何匹か風穴にいれたら。。。。』
 各自500円の入場料を払って、風穴に向かいました。 芹川に注ぐ谷川の水は昨日の雨で増水していました。


 かなりの坂道(階段)を登って進みましたが、より眺めの良い鉄製の道を進む参加者もいました。


 風穴の前での集合写真です。


 皆さんがにこやかにしている写真もあるのですが、内輪のアルバムでの公開にしてあります。
 風穴の中は思いのほか広かったのですが、通路は細く、急でした。 自然と時間の力を感じる次第です。


 安全に行ける一番奥の2階の部屋まで行き戻りました。 途中、集合写真を撮りましたが、フラッシュの使い方が分からず暗い写真になってしまいました。 ごめんなさい。


 風穴からの生還です。


 眺めの良い鉄製の道を通って降りましたが、どこまで風景を楽しめたか。。。


 谷川の流れです。


 無事全員が帰ってきて解散しました。



 佐々木さん、高木さん、谷口さん、花澤さんの写真を使わせていただきました。 ありがとうございます。

文責 山本 眞
  

Posted by 43期地文 at 22:03Comments(0)親睦活動

2022年10月05日

2022年10月5日中仙道・守山宿を散策し、チョットお洒落なランチを楽しむ

 中仙道・守山宿を散策し、チョットお洒落なランチを楽しむ会に11名の参加があり、クラス活動レベルと判断しブログにアップします。
 今回は従来と違って、集合場所を二か所としました。 一つは草津駅で、草津宿から守山宿へと中山道を進み、ランチ会場「Turu no Omotenshi」へ。 もう一組は守山駅に集合、勝部神社に詣で守山宿を散策後、ランチ会場へ。
 守山駅組は予定通り駅二階の改札口に集まり、定刻に勝部神社に向かいました。 その前に粕渕先生の発表会での守山の火祭りを少し復習しました。
 Google mapの案内に従って、無事勝部神社に到着しました。


 火祭りの由緒は約800年前、土御門天皇が病気快癒するよう、野洲川のおろちを退治したことから始まったとか。 由緒によれば7世紀半ばに創建されたとか。 現在の本殿は守護の佐々木氏が16世紀中ごろに建てたもので重要文化財に指定されています。


 この後、Google mapに導かれて、車の通らない道を旧中山道へ。 旧中山道を左折し暫く行くと、旧中山道で唯一現存する一里塚(今宿一里塚)が左手にありました。


 大きく茂っている榎は昭和中ごろに枯れてしまった榎の脇芽だとか。
 この後、旧中山道を北上、歌川広重守山宿を描いたとする土橋をシッカリ見ているお二人と、カメラに遊ばれている一人。 今では数mしかありませんが、当時は30~40mの川幅だったとのことです。


 昼食会場に行くにはチョット早かったので、すぐ近くの西国三十三ケ所霊場で第2番の東門院へ。 
 金剛力士像は一般と違って、スタイルが良かったのでビックリしました。


 ランチ会場前で待っていてくれていた草津組と合流、ランチを楽しみました。


 昼食後は参加者全員で東門院へ。 ここで集合写真です。





 この後、中山道街道文化交流館に寄り、34期地文の先輩方の課題学習の一端が展示されているのを拝見。 意を強した人もいました。 
 また「家茂のデンデコ行列」幕末に長州征伐に行く時に守山で宿陣されたそうです。


 街道を描いた浮世絵の復刻版が展示され、当時を思い浮かべることができました。
 次いで元総理大臣の宇野宗佑氏が生まれ育ったうの家を訪れました。


 家の大きさに驚いてしまいました。 さすが、江戸時代「年寄り」を務めた家だと再認識した次第です。 うの家の後は守山駅に向かい、無事ランチ会を終えることができました。
 佐々木さん、高木さん、花澤さんの写真を使わせていただきました。 ありがとうございます。

文責 山本 眞
  

Posted by 43期地文 at 21:27Comments(0)親睦活動