
2023年06月30日
2023年6月29日 フォトウォーククラブ6月例会 石部宿
2023年6月29日 フォトウォーククラブ6月例会
~東海道石部宿を歩き ウツクシ松の自生地を訪れる~
梅雨の真っ最中にも関わらず、予報のにわか雨のどころか、時折晴れ間さえ見られました。30度越えの中、古人たちの旅の足跡をたどり、15,000歩、よく頑張りました。
コースは
石部駅8:45スタート⇒石部宿西繩手跡⇒西の見附⇒⇒吉御子(よしみこ)神社⇒石部宿田楽茶屋⇒小島本陣跡・石部宿驛⇒三大寺本陣跡⇒石部中央⇒吉姫神社⇒東の見附跡⇒鉗子袋まちづくりセンター⇒ウツクシ松自生地⇒北島酒造駐車場(解散)12:00
恒例、部長さんのご挨拶も最終回です。
石部宿西繩手跡を歩く
43&44地文と健康づくりで編成の3班には、ボランティアガイドさんが2人ついて下さいました。お話されているのは、この地域ガイドリーダーでもある、御年80歳、ガイド歴15年のHさんです。元気はつらつ、楽しくかつ詳しいガイドでした~
歌川広重の絵を石板に彫り込む立派な案内図です
先細りとカーブで遠見遮断の防衛策
<道の歴史、時代の往来を思いえがきながら>
奈良時代は伊勢へは、「大和道~伊賀~伊勢」、
平安遷都と共に、平安前期からここ近江を通り、鈴鹿を超える阿須波道(あすはみち)が官道となる。この道を、天皇の代替わりごとに伊勢神宮に発遣される「斎王の群行路」が行幸されていた。
その後、江戸幕府から、参勤交代で江戸へ、庶民はお伊勢参りへと人々が行き交い、沢山の商いと旅籠で賑わっていたようです。
『吉御子(よしみこ)』神社
足ちゃんと上がってます!
これは「夏越の払い」6月30日の神事の茅の輪くぐり
右まわり2回くぐり(交互の作法もあるようである)
左まわりの1回くぐってから本殿にお参りする
これで、半年のけがれをはらい後半の半年が良い日々となるようにと、祈願ができました。本殿は上賀茂神社の旧本殿の移築とあって趣がありました。
『小島本陣跡』 膳所藩直轄の本陣。数多くの大名や明治天皇も宿泊。目と鼻の先に幕府直轄の『三大寺本陣跡』は武家の旅宿。2つの本陣は当時、ライバルであったとガイドさんの話もありました。
石部宿驛。屋内に入り、「やれ やれ」です。
「さぁ」再び、街道歩き。
「石部中央」の交差点には数多くの観光案内板がたっています。『問屋場跡』『高札場跡』『安民米倉庫』等、中でも気になったのが芝居小屋『常盤館跡』で、ミニ南座と言える建物、回り舞台まで備わって遠くからも観客が訪れたが、大正初めに焼失したらしい。石部は、文楽『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)』、38歳帯屋男と14歳娘の恋に貞節な女房の情話が舞台となった宿であると、いただいたガイドパンフレットには書かれていたが、この演目も演じられたのでしょう。
『吉姫神社』、先の吉御子神社と男女一対の神社。
ウツクシ松自生地標高227mに向かう途中に大きな池があり、ハスが群生していた。
アカマツの変異株。幹が赤くて松の緑が映える。確かに美しい!最初に発見したのは「藤原頼平」だという。ここだけに自生するのも不思議である。国の天然記念物。

最終の目的地で記念撮影し、麓まで下って解散しました。
その後は、北島酒造へ寄る人達もありましたが、我が地文は予約してもらっている甲西駅ちかくの『サガミ』へ、冷たいビールに心惹かれて直行しました。
部長の労をねぎらい「お疲れ様!」の乾杯をしました。照れてジョッキでお顔を隠しておられます。残り少なくなってきた学生時代を楽しむひと時でした。
~東海道石部宿を歩き ウツクシ松の自生地を訪れる~
梅雨の真っ最中にも関わらず、予報のにわか雨のどころか、時折晴れ間さえ見られました。30度越えの中、古人たちの旅の足跡をたどり、15,000歩、よく頑張りました。
コースは
石部駅8:45スタート⇒石部宿西繩手跡⇒西の見附⇒⇒吉御子(よしみこ)神社⇒石部宿田楽茶屋⇒小島本陣跡・石部宿驛⇒三大寺本陣跡⇒石部中央⇒吉姫神社⇒東の見附跡⇒鉗子袋まちづくりセンター⇒ウツクシ松自生地⇒北島酒造駐車場(解散)12:00





<道の歴史、時代の往来を思いえがきながら>
奈良時代は伊勢へは、「大和道~伊賀~伊勢」、
平安遷都と共に、平安前期からここ近江を通り、鈴鹿を超える阿須波道(あすはみち)が官道となる。この道を、天皇の代替わりごとに伊勢神宮に発遣される「斎王の群行路」が行幸されていた。
その後、江戸幕府から、参勤交代で江戸へ、庶民はお伊勢参りへと人々が行き交い、沢山の商いと旅籠で賑わっていたようです。















その後は、北島酒造へ寄る人達もありましたが、我が地文は予約してもらっている甲西駅ちかくの『サガミ』へ、冷たいビールに心惹かれて直行しました。

(文責 西田)