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2022年06月25日

2022年6月24日必修講座 『CO2ネットゼロ社会づくり』に向けた取り組みについて・滋賀県の気象特性と防災気象情報

午前 『CO2ネットゼロ社会づくり』に向けた取り組みについて
滋賀県総合企画部 CO2ネットゼロ推進課

 CO2 ネットゼロ推進課から以下の順に発表がありました。
1.条例・計画類の見直しの背景
 地球温暖化の原因をCO2であるとする資料を提示。
 COP26・IPCCの概要を説明、カーボンニュートラルを表明した国は125あるが、中国、インド、ロシアはしていない。
 滋賀県での状況を過去の平均気温、琵琶湖表層水温の経年変化のグラフで説明。
 自然への影響に付いて言及された。

2.滋賀県CO2 ネット社会づくりの推進に関する条例・計画の策定について
 滋賀県の推進に関する条例、推進計画の概要について説明
 基本的に、再生可能エネルギーを太陽電池とし、節電、エネルギー使用を削減する方針。

3.令和4年度の取り組み
 補助金、従来の事業の継続とアドバイザー事業の相談窓口の新設。
 これまでの事業成果を例を挙げて説明されました。

午後滋賀県の気象特性と防災気象情報
彦根地方気象台 次長 山﨑 先生 
 
 全体を5つの大枠に分けて分かりやすく話されました。


1.地勢と気候
 滋賀県を大きく3つの知己に分け、シベリア気団、揚子江気団、オホーツク気団、小笠原気団の影響による四季の気候について話されました。
 さらに北西、南西、南東の地上風と地形の組み合わせで過去の災害についても話されました。
 伊吹山に1927年に積もった11.82mは世界記録だとか。

2.台風による気象災害
 台風の定義から始まり、気象庁が発表する台風情報、また大きな台風の経路、西側・直撃・東側を通過した時の特徴について話されました。

3.滋賀県の過去の気象災害
 明治29年の琵琶湖洪水、昭和28年の多羅尾豪雨、昭和34年の伊勢湾台風についての被害の状況、気象状況について話されました。

4.滋賀県の気象変動
 彦根市の観測データ・平均気温の推移、・猛暑日数の増加について話され、暑さ指数について説明されました。

5.防災気象情報
 気象庁・気象台が発表する防災用語、防災気象情報、キキクル・警戒レベル、について説明され、警戒レベル4までに必ず避難することと協調されました。
 気象庁のホームページから、防災気象情報が入手できるとのこと
 https://www.jma.go.jp/jma/index.html
 その他放送局のデータ放送、スマートホンアプリがあり、情報を取りに行くとより迅速に状況を知ることができるとのこと。
 緊急速報エリアメールでは緊急地震速報、津波警報、特別警報が受信できるとのこと。
 
 災害情報はマスメディアでの伝達もあるが、危機に際しては自からデータを取りに行くようする習慣をつけるといいと思われた。


 
文責 山本 眞
  

Posted by 43期地文 at 20:44Comments(0)基礎講座

2022年06月25日

2022年6月21日(水)校外学習・日野

『梅雨の日野 ゆっくりと歴史をひも解く 太子伝かな』  (敏雄)

山元一博先生の『近江聖徳太子伝承の背景を探る』の授業の一環として
今日は、午前は、講義と「郷土料理」、午後は鬼室神社と西明寺の見学でした。

10時から近江商人ふるさと館「旧山中正吉邸」にて

まずは、大広間で1時間の講義を受けました。


  本日のテーマは「中世の太子創建伝承寺院」です。
中世の状況を調べる文献『総説 飛鳥時代寺院址の研究』石田茂作氏(昭和19刊行)によると46ヵ寺あります。山本先生は、その中の近江にあった11ヵ寺を中世の寺名・地名・現存の寺の関係を検討された結果、中世でも聖徳太子伝承を持つ寺院は、湖東南部に集中するというまとめで、講義は終わりました。

 続いて、館の方から旧正吉邸の歴史ガイドをしていただきました。<蒲生定秀(氏郷祖父)時代からの日野の治世><近江商人の歴史~お椀・薬の関東への行商から味噌・醤油業の店への発展><旧正吉邸の建造物>についてお聞きしました。
学生から「主屋の玄関と仏間と、天井の高さが違うのは?」という質問に、他の学生が答えると、
「これから使えるネタができた!」とガイドさんが喜ばれるという面白い展開でした。

しばらく思い思いに邸宅の見学タイム~
〇運よく、6月26日まで「日野祭 850年の歴史」展が開催中<br />
<br />
いよいよ、お楽しみの<strong><span style=「郷土料理」をいただく時間です。
このお料理は、日野の町とお料理が大好きなおばちゃん達が運営する「日野の伝統料理を継承する会」の皆様のボランティア活動で、心くばりが至る所に感じられました。

日野の郷土料理「鯛そうめん」御膳
<メニュー> 鯛そう麺・胡麻豆腐・白和え・丁字麩の辛子味噌和え・日野菜寿司・お吸い物・日野菜漬 (お料理は2000円)
鯛そうめんは日野祭りの日、お店(おたな)だけが出せた特別なお料理。この器「復興日野碗」は漆塗りで、格別のおもてなしでした。


どれも本当に美味しくて




「舌鼓」を打っていただきました。


その会長さん(かな?)からのご挨拶を受け、コロナ禍で、団体の受けたのは2年半ぶり!とお聞きして、今日の「おめでたい(鯛)日」を、共に喜びました。

外はまだ雨が… 『鬼室神社』
~歴史をたどる<聖徳太子伝承✖渡来人を祀る神社に>~
異国文化漂う六角堂の屋根の下で雨をしのぎながら、山本先生から、この神社の歴史秘話をたっぷりとお聞きしました。(以下)

~江戸期は、不動明王を祀る不動堂と言い、『聖徳太子伝歴』に記載の、太子伝承に多い「人魚墓」とこの場所は一致する。
しかし文化2年(1805)、藩の歴史調査で 渡来人の高官・鬼室集斯の墓碑が、この本殿裏から発見されて一変した。明治期は西宮神社の名になり合祀され、昭和30年からは祭神を鬼室集斯とする『鬼室神社』に改名されたのである。
    ~人魚墓(太子伝説は)は~いったい何処に…。
社殿の裏に、歴史的新事実が…石祠の中に墓碑がある

 2時を過ぎて、再び車の列を組んで丘陵を走りました。綿向山登山口の標識をさらに登ったドン付き、『西明禅寺』に到着しました。


<Mさん、恩師和尚との再会 叶わず>
9年前に、三十三か寺巡りでこの寺を訪れた。朱印帳を差し出した時に、和尚の方から、約50年前(高校の部活顧問)の教え子の私に気付き声をかけて下さった。 しかし、今日山門で迎えてくれたのは若い住職。尋ねると、5年前に恩師が、その2年後に伴侶も亡くなられたと伝えられる。(合掌)50年ぶりに再会した時にいただいた恩師手作りのお守り


お仏壇広間に上がると、住職さんは、「お経をあげますから」とおっしゃって、即、『般若心経』と『大悲心陀羅尼』(祈祷と回向の経)を読経されました。「…三回忌回向…」の経文が聞こえた。訪問者に応えて、師の回向をしてくださったのでしょう。

そして、茅葺屋根の立派な本堂(観音堂)に案内していただきました。
特別秘仏(国宝)の扉は閉ざされていますが、お姿が拝めるようにレプリカの十一面観音立像が置かれています。脇には、平安時代の作とされる毘沙門天が厳めしく邪気を踏みつぶしておられました。
毘沙門天像-本尊と同じ平安期のものらしい
この扉の中に、国宝「木造 十一面観音立像」が安置


不動明王像


お寺のすぐ隣の『十二社』の鳥居下で
~「十二社」と「西明寺」と「大安楽寺」は綿向山の山岳仏教でつながっている~
十二社は紀州熊野の十二権現を勧請している

この近くにある大安楽寺の看板
~「十二社は、綿向山・竜王山の山岳仏教で栄えた修験道の場であり、西明寺も修行地の一つであった。「大安楽寺」は奈良時代に山中にあったお堂が現在地に遷され、平安時代中期から400年間栄えた大寺院であったらしい。西明寺はこの別院であったと考えられる。
        ~今日の小雨けむる綿向山&竜王山の稜線は確かに美しく、古人は「山の気」を感じたのであろう~

西明寺で 中央に僧侶にも入っていただき <合掌>



  本日は、欠席された「大国柱の学科長」の為に、詳しく伝講いたしました。
  そして、旧山中正吉邸の如し「頑丈な梁」の副学科長のお二人、下見までして、今日のお世話役、ありがとうございました。

文責 KN

  

Posted by 43期地文 at 12:33Comments(0)選択科目