2022年10月13日
2022年10月13日校外学習・小谷城跡
学習日時:2022年10月13日(木) 10:00-14:00
集合場所:戦国ガイ ドステーション
今回は集合場所が3か所になりました。 JR河毛駅から歩いて番所跡へ行くグループ、河毛駅に集合して車にピックアップしてもらって、戦国ガイドステーションへ行くクループ、戦国ガイドステーションへ直接集まるグループでした。
河毛駅に予定時刻より早く集まり、車にピックアップいただいて戦国ガイドステーションに向かいました。 良い天気に恵まれ、いい学習ができそうなスタートでした。

戦国ガイドステーションに先生がいらっしゃって予定通り、車の台数を減らして番屋の駐車場に向かいました。

駐車場は広くはありませんでしたが、何とか全部の車が駐車できました。

いよいよ出発です。

番所跡で、徒歩グループが待っていました。 照り返しが強く、結構消耗した人もいたようでした。ここで、先生から小谷城全体の説明を先生から受けました。 山城は基本敵の攻撃から自分たちを守る(敵がたやすく侵入できないような工夫がある)為にあるとのことでした。

これからは舗装がなく少し歩きづらい道になっていました。

次にお茶屋跡がありましたが、お茶屋であるわけがなく、守るための施設跡の事でした。 お茶屋という名付けは江戸時代になって、行われているので、実際はどう呼ばれていたがわからないとのことでした。
視界が広がり、遠くは竹生島が見え、山本山、信長が布陣した虎御前山が目の前でした。

桜の馬場、馬洗い池等がありましたが、馬が登れないのが山城とのことで、馬がいたわけがないとのことでした。 実際、桜馬場には建物の礎石が見つかっていて、建物が立っていたと推定されました。
馬洗い池は城に住んでいた人たちの飲料水だろうとの事でした。

さらに首据石がありましたが、これもそんなわけはないとのことでした。 チョットお茶目に先生がポーズ。

次いで、負けを悟った長政が自刃したとされる赤尾屋敷跡へ

この辺りからの眺望も非常に良いものがありました。

さらに、黒金門(門に鉄が貼ってある)跡に進みました。 大きな石でできた石垣に壊された跡がありました。

黒金門を過ぎると大広間跡です。

大広間跡からは多くの遺物が出てきており、生活していたことが分かるとのことでした。 また、礎石から燃えて落城したわけではないことが分かるとのことでした。
大広間跡で昼食を摂り、

集合写真を撮りました。 後ろの石垣は本丸(鐘丸)のものです。 先生は本当の本丸は、石垣の大きさ、場所の高さから考えて山王丸だったとの説を取られています。

さらに進んで、本丸の後ろにある大堀切の大きさ等も確認しました。

守護だった京極家が収容されていた京極丸へ進みます。 小谷城が落城したのは京極丸を秀吉に取られてしまい、山王丸・小丸が孤立してしまったためとの事でした。

小丸からわき道に入ると当時の石垣が結構そのまま残っていました。

秀吉により破城されたたため、石垣が崩れているとのことです。
さらに進んで、最終目的地山王丸で先生のお話です。

先生のお話には力があり、本当に城郭への熱意が直に伝わってきて、いい授業を受けらいると思いました。
この後、先生を先頭に無事全員が怪我無く下山し、戦国ガイドステーションで解散しました。
谷口さん、琴子さん花澤さんの写真を使わせていただきました。ありがとうございます。
集合場所:戦国ガイ ドステーション
今回は集合場所が3か所になりました。 JR河毛駅から歩いて番所跡へ行くグループ、河毛駅に集合して車にピックアップしてもらって、戦国ガイドステーションへ行くクループ、戦国ガイドステーションへ直接集まるグループでした。
河毛駅に予定時刻より早く集まり、車にピックアップいただいて戦国ガイドステーションに向かいました。 良い天気に恵まれ、いい学習ができそうなスタートでした。
戦国ガイドステーションに先生がいらっしゃって予定通り、車の台数を減らして番屋の駐車場に向かいました。
駐車場は広くはありませんでしたが、何とか全部の車が駐車できました。
いよいよ出発です。
番所跡で、徒歩グループが待っていました。 照り返しが強く、結構消耗した人もいたようでした。ここで、先生から小谷城全体の説明を先生から受けました。 山城は基本敵の攻撃から自分たちを守る(敵がたやすく侵入できないような工夫がある)為にあるとのことでした。
これからは舗装がなく少し歩きづらい道になっていました。
次にお茶屋跡がありましたが、お茶屋であるわけがなく、守るための施設跡の事でした。 お茶屋という名付けは江戸時代になって、行われているので、実際はどう呼ばれていたがわからないとのことでした。
視界が広がり、遠くは竹生島が見え、山本山、信長が布陣した虎御前山が目の前でした。
桜の馬場、馬洗い池等がありましたが、馬が登れないのが山城とのことで、馬がいたわけがないとのことでした。 実際、桜馬場には建物の礎石が見つかっていて、建物が立っていたと推定されました。
馬洗い池は城に住んでいた人たちの飲料水だろうとの事でした。
さらに首据石がありましたが、これもそんなわけはないとのことでした。 チョットお茶目に先生がポーズ。
次いで、負けを悟った長政が自刃したとされる赤尾屋敷跡へ
この辺りからの眺望も非常に良いものがありました。

さらに、黒金門(門に鉄が貼ってある)跡に進みました。 大きな石でできた石垣に壊された跡がありました。
黒金門を過ぎると大広間跡です。
大広間跡からは多くの遺物が出てきており、生活していたことが分かるとのことでした。 また、礎石から燃えて落城したわけではないことが分かるとのことでした。
大広間跡で昼食を摂り、
集合写真を撮りました。 後ろの石垣は本丸(鐘丸)のものです。 先生は本当の本丸は、石垣の大きさ、場所の高さから考えて山王丸だったとの説を取られています。
さらに進んで、本丸の後ろにある大堀切の大きさ等も確認しました。
守護だった京極家が収容されていた京極丸へ進みます。 小谷城が落城したのは京極丸を秀吉に取られてしまい、山王丸・小丸が孤立してしまったためとの事でした。
小丸からわき道に入ると当時の石垣が結構そのまま残っていました。
秀吉により破城されたたため、石垣が崩れているとのことです。
さらに進んで、最終目的地山王丸で先生のお話です。
先生のお話には力があり、本当に城郭への熱意が直に伝わってきて、いい授業を受けらいると思いました。
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谷口さん、琴子さん花澤さんの写真を使わせていただきました。ありがとうございます。
文責 山本 眞
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Posted by 43期地文 at 22:17│Comments(0)
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